父のこと。②
父のこと。①の続きです。
ーーーーーー
丸一日かかって、父はまた精密検査を受けた。車椅子へ乗せられてあちらこちらへと移動。病院探検みたい。
地元の病院の医師の所見通り
一番太い冠動脈が8〜9割詰まってた。
うむ、まさに心筋梗塞。
他にもあちこち石灰化がみられ、なんならそれを補うように新たに細く血管が作られていたのだ。
体ってすごい!へー!って感心するところはそこじゃないが、付き添いの家族全員が感心していた。変なのです、うちの家族。
で、カテーテル検査の結果次第では、開胸手術(天皇もなされたバイパス手術というもの)も視野にいれているとの説明があった。
おーとうとう胸開けるのか。
しかしここでも生命力というか運を発揮した父。カテーテル手術でなんとかできたのだ。風船でも石灰化は崩れず、かなり削ったらしいが。わあ、なんだか工事みたい。
ステント留置ですんでよかった。
顔色も赤ら顔だったのが綺麗なピンク色になり、経過良好!と言いたいところだったが。
その病院で、便潜血が見つかり、退院後詳しく地元の病院で検査するようにとすすめられた。循環器専門の病院なのでここではできないのだ。
そして退院後、今度は大腸の精密検査。
特大の癌が見つかった。
身内に癌患者はおらず、心筋梗塞や脳梗塞など血管系の病の家系であったので、思ってもいない現実にただ驚いた。
それでも病院から帰ってきた父は相変わらずいつも通りの腹減った、で
コンビニ弁当を食べていた。
ステント留置の加減もあり、早くても手術は半年後、しかも術中に急変して心筋梗塞や脳梗塞を起こす可能性も高いと言われていた。
それでもいいですか、等のあの署名には毎度ながら??が浮かぶ。
いいですか、って、署名せなあかんけどいいわけないがな!っていつも一人ツッコミを入れてしまう。
そこから半年間、私は父の癌について、薬について、手術について、その後について、かなり勉強しまくった。
疑問に思ったことは、その場で医師に質問する。
きっと煩わしい娘であっただろうが、きちんと隠さず答えてくれる医師であった。
見つかった時の精密検査では、ごく初期であろうとのこだったが、手術後、まさかのステージ3aであることが判明した。
本当にまさか、であった。
なぜならば
その確率というのは、10%なのだ。
なんて倍率の高い競争に勝ち抜いたんだ、父よ!!
いや、ちゃうがな。
そこ、入らんでええがな。
脳梗塞後、煙草をやめた反動で甘いものが欠かせなくなっていたが、それも変わらず、昼に食べるものがないからといいカップラーメンを食べ、仕事の習慣が抜けないから、と早食いも相変わらず、毎晩ご飯を欠かさず二膳、そこは一膳に変わったかな。
まーとにかく、懲りない!!!
三大疾病を見事に乗りこなしてきた父であるが、よく言うじゃないですか、
大病して、人生観変わりました。⭐️
みたいなやつ。
父本人なりには、あるらしいですけど
まったく生活習慣変わりませんよね。
きっと、大病をしているけれども、どれもそこまで痛くもなく、痒くもなく、有難いことにかすり傷で済んでいるからなんだと思います。父の徳、っていうんですかね。
続く。