ただ書き綴る

与えられた命

 

一生懸命生きないと、とか


せっかく生きているのだから

どんなことも楽しまないと損だ、とか


目標があるから頑張れる、とか


目標がないと生きていけない、とか


やりたいこと見つけなきゃ、とか


何なのそれ誰に決められたのよって自分で自分に言い聞かせる

 

何にもしたいことがなくても


心から楽しいと思えることがなくても


目標なんてなくても


幸せだーって感じる瞬間がほんの一欠片もなくても

 

誰の役にも立ってなくても


スマホ代すら払えなくても

 

実家暮らしなのに家事すら手伝わずに寝てばっかりでも


父親の胸ぐら掴むような娘でも


何だっていいじゃんね

 

それでも私は可哀想じゃないし


不自由じゃないし不幸でもない


誰かより劣ってもいないし


誰かより優れてもいない

 

生まれた瞬間から


一生懸命息してるし


食べてるし、出してるし

 

いつまで外からの刺激で内側を埋めようとしてんだろう


なにか〝しなきゃ〟生きていられないことなんてない


本当に〝すべき〟ことは〝しなきゃ〟なんて思わなくてもしてるから

 

望みも理想も消え去って


目標なんて元からない


行くべきところがない


だからここでじっとみてる

 

それでもこの状況を〝なんとかしなきゃ〟とああでもないこうでもないと今までそれなりに闘ってきたけれど

 

もう、本当にここでじっとしてるだけ


何にもない、ここにいるだけ

 

ああこれが絶望感ってやつか


振り切れたってやつか


反動力がいま蓄えられているのか

 

治療院へ通って丸一年


本当にここ数ヶ月は、やりたいことも行きたいところも会いたい人も 
〜したいと思えることがとことん無くなって、このままでいいのかな?と不安に思うほどで

 

それでいいんですよ、


やっとニュートラルに戻ってきてるんですよ、と言われても不安で虚無感だらけで押しつぶされそうだった(もちろん今も

 

けれどもその不安すらもただの自我でしかないし頭の中の声でしかない

 

頭の中にある自我やエゴの声が静まった時、いかに日常が〝〜しなきゃ〟でいっぱいだったのかということに気がつく

 

起きなきゃ、食べなきゃ、寝なきゃ、働かなきゃ、歯磨かなきゃ、顔洗わなきゃ、この服着なきゃ、この靴下履かなきゃ、この靴履かなきゃ、笑わなきゃ、挨拶しなきゃ、、しまいにはそんなこと言ったって生きなきゃ、だよね

 

 

こんなこと考えるわたしはきっとはたから見れば狂っているのだろう

 

また考えすぎてる、時には病んでいる、とも友人から言われる始末だ


病んでいる、ってなんだ?


何も気がつかない方が余程病んでいるとわたしは思えてならん

 

けれどももっとアホやったら良かったな、と兄から言われるのもまさにその通りだとは思う


こんなこと考えて自分と向き合いすぎて
生きづらくなっていちゃあおしまいだ

 

わたしの思うところの〝病んでいる〟方がこの世はそこそこ生きやすいのかもしれない

 

それでも吐き出さずにはいられないし
書かずにはいられない