父のこと。①

私の父はヘビースモーカーだった。

その上、家族性の高血圧。

 

 

40代で心房細動による狭心症で運ばれ
その2〜3年後には脳梗塞で倒れた。

 

その当時私は大学受験を控えていて
父が倒れたことにより、後遺症などの恐れ、職を失うかもしれないことなど、幼いながらにも頭の中に浮かび、ああ、これはもう受験諦めなきゃいけないな、なんて思っていた。

 

 

幸いにも、医師も看護師もみな驚くほど回復が早く、このままリハビリを続ければほとんど後遺症も残らないかも、という状態にまで持ち直した。

 

 

そして仮退院で家へ戻ってきた日の夜
少しだけ、と言いキッチンの換気扇の下で煙草を吸う父。

 

今思えば、家族が止めても聞くような人ではないから、自業自得だなと思うが、そのままその場でふらつき、まんまと脳梗塞再発となった。

 

当たり前だ。

 

 

それでもまた奇跡的な回復で、約2年ほど会社からも休暇をいただけ、無事に職場復帰を果たし、65歳まで勤め上げた。

 

 

今でもやはりあちこち支障はあるものの、はたから見たら脳梗塞を二度も起こした人とはまあ見えない。

 

 

65歳の10月、ちょうど私の結婚式が終わった頃から、胸の痛みと胸焼けのような症状を訴えるようになったが、かかりつけ医では逆流性食道炎と言われ薬を処方された。

 

 

今でもこのかかりつけ医に対して不信感しかないが、年を開けた頃には、風呂場の掃除で俯くだけでも息切れをしていたのだ。

 

 

そこでやっと近所の循環器内科のある少し大きな病院で精密検査を受けることになった。付き添いはたまたま私であった。

 

 

様々な検査を受け、その度に息切れしている父を横目に、どんな検査やねん、と笑いながらも診察室へ呼ばれて入ると、今すぐ入院してください、と一言。

 


今にも心筋梗塞を起こしそうな心電図波形だったそうで、私たちよりも検査技師の方が一番動転していたように思う。

 

 

吹田の国立循環器病センターに通院していたので、すぐそちらへ救急の受け入れ要請をしてくださり、その足で救急車で吹田へ、と医師に勧められたが、能天気な私は「乗ってきた車はどうすればいいか?置いていく?え、駐車料金はどうなるんですか?私、娘なのでそんな大事なこと今すぐに判断しかねます、、」などと阿呆なことを言っていた。

 

だが、驚いたことに横で父は一度帰ってはだめですか?と聞いておる。
さすがの医師も何言ってるんですか?と半ギレ。(笑)

 

 

すったもんだあり、急変したらすぐに救急車を呼んでここへ来ること、自己責任でお願いしますということ、など話し合い、その日は帰ることに。

 

 

帰り道、腹減ったなあ、と言う父と丸亀製麺でたらふく食べ、桜を観ながら帰るというなんともおかしな1日を過ごした。

 

 

翌日早朝、家族で車で吹田の病院へ向かい救急外来へ入って行くものの、

 

え、それで患者さんはどちらに?と聞かれ、父です、と指差すと、

 

 

何してるんですか!!歩かないでください!!と怒られた。病院はこわい。

 

続く。