6月15日
【成功のためには苦労が必須……?】
無意識にそう思ってたし刷り込まれてたしグリグリ刷り込んでたんやろうなーと
自分の今までを振り返って思う。
仕事、人生、恋愛、結婚
すべてに言えることだよね。
だからこそ、
なんか大変そうな人とか
めっちゃ逆境の中立ち向かってる人とか
そういう話聞くとムズムズする。
私も、もっと苦労せんと!って。(えー笑笑
で、大変やねぇ、って言うのが苦痛。
私もっと大変やし自慢大会になって負けるのいらんから。(えー笑笑
とっととおしまいしよーっと。
どうせなら楽しもーっと。
で、
そうしたくてしょうがないんやろうなーっていう周りの人を温かく見守ろーっと。
6月11日
いつもの風景。🍃🌿💭💭
立禅気持ち良し◎
しまいに根っこ生えそう。🌲
父のこと。③
こちらの続きです。
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それからというものの、父との喧嘩はしょっちゅうになりました。
まあ、父が緊急入院し、癌が見つかり、さて手術どうする?経済的なことは?申請は?などと奔走しているとき、私は自身の結婚生活が破綻しかかっており、精神的にも崖っ淵で、離婚するかどうなのか、ということも抱えていたので、父のことへ目をやることで、半ば逃げ道になっていたのであろうと思います。
どっぷり自分のことに浸からずにすんだ。
もちろん、父にもそのことに関して怒鳴られたことはありました。
父さんのことあーだこーだ言うてんと、自分のことどーにかしたらどーなんや!いつまで家におるつもりじゃ!
余計なお世話じゃ!みたいな。(笑)
すかさずそこは母が口挟んでましたが。
口が立たないうえに、やはり脳梗塞のこともあり、思っていてもうまく言葉が出てこないこともあり、短気な父の喧嘩の最後はいつも決まって
「俺が死ねばえーんやな!!!」です。
もう、その度に、なんでやねん、となる家族一同です。
ほんと、誰よりも子どもです。
どこのお父さんもそんなんかな?
それでね
これだけ延々と書いてきたけれど
一体何に腹が立つのか、というと。(遅
父自身、自分の命に対しての責任感の無さです。無関心なところです。
病院を決めるときも、治療方針を決めるときも、薬の処方1つにしてもそう、
何にも疑いもしない。自分の体のことなのに、今自分がどうなっているのか、この病気はどういうものなのか、この治療や薬はどんなリスクがあるのか、など調べようともしない。もにろん生活習慣も変えない。
薬の処方を間違える、その他様々なことがあったかかりつけ医も未だに変えようとしない。理由は、変える方が面倒だから、だ。
そのくせ、何かあったときは、やっぱり俺もおかしいと思ってた、とか、不信感しかなかった、とか後からぐちぐち言う。
でも、病院では誰よりもいい顔する。
自分の都合より、病院や会社の都合ばかり気にして気を回す。
そのくせ、あとから文句言う。
もうね、本当に腹が立つ。
二人の兄はもうそんな父を昔から知っているので、ほぼ流しています。
母も。
私だけ、こんなにやきもきしてるの(^^;;
なんで私が自分のことでもないのにこんなに一人でやきもきしてるんやろ、って辛くなって父に泣き喚いて喧嘩することもこの2年間多々ありました。
どーしてそんなに自分の命に対して責任がないんや!無関心すぎる!と、いつも喚いていました。
で、昨夜も久しぶりにやっちゃって
また久しぶりに父の名文句
「俺はどーせ先に死ぬんやからえーやないか!」
が聞けちゃって。
もうなんか、おかしくなって。(笑)
なんだ、もうこの数年病院通いばかりで生きるのめんどうになってんだな?って、不謹慎ですが、おかしくなっちゃって(笑)
ならまー、食べたいもん、添加物だらけのジャンクフードもお菓子も塩分たっぷりのカップラーメンも好きに食べたらえーがな!それが本望ならまー好きにしたらえーがな!と笑いながら食卓で他の家族に話していたのです。
それでもやはり脳裏に浮かぶのは
こんな風に多くの疾病を抱えている者は、簡単には死なせてもらえないってこと。
何か異変があればすぐ病院に運ばれちゃうし、管繋がれちゃうしね、
で、入院するたびに、家族も巻き込まれるわけだよ。否応無くね。
携帯充電することですら呼び出されんだよ。看護師呼べよ、って何度言ったか。
頼めよ、って。
そこでも、いい顔してたいの。
ほんっと、ここまでしても持っていたいプライドってなんだろうねーって、二人の兄といつも話してます。
そんな父は、新たな怪しい病変が見つかり、目も白内障だけでなく、目の脳梗塞と呼ばれる病気も見つかり、
1つの病院で3つもの科へ通院中です。
プラス、地元のかかりつけ医と
吹田の病院と
まあ、医療費が嵩んで母の頭には白髪が増える増える。マイナスもいいとこです。
それでも相変わらず
運動もせず、ずーっとオコタに入ってみかん食べて、お菓子食べて、餅食べて、カップラーメン食べて、ろくに水は飲まず珈琲飲んで、毎日過ごしている父です。
薬さえ飲んでたら大丈夫
手術で悪いとこ切れば大丈夫
って思ってるみたいです
父の人生、父の命です
私が腹立ってるのもおかしな話。
それでも放って置けなくなる
なんとかしたくなる、娘ですもの
私が心配しすぎたり、喚いたりするのをやめたら、案外すっと父も病気をやめちゃったりね、なんて思う今日この頃です。
病気って、そんなものだと、私は思っています。
ちゃんちゃん。
父のこと。②
父のこと。①の続きです。
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丸一日かかって、父はまた精密検査を受けた。車椅子へ乗せられてあちらこちらへと移動。病院探検みたい。
地元の病院の医師の所見通り
一番太い冠動脈が8〜9割詰まってた。
うむ、まさに心筋梗塞。
他にもあちこち石灰化がみられ、なんならそれを補うように新たに細く血管が作られていたのだ。
体ってすごい!へー!って感心するところはそこじゃないが、付き添いの家族全員が感心していた。変なのです、うちの家族。
で、カテーテル検査の結果次第では、開胸手術(天皇もなされたバイパス手術というもの)も視野にいれているとの説明があった。
おーとうとう胸開けるのか。
しかしここでも生命力というか運を発揮した父。カテーテル手術でなんとかできたのだ。風船でも石灰化は崩れず、かなり削ったらしいが。わあ、なんだか工事みたい。
ステント留置ですんでよかった。
顔色も赤ら顔だったのが綺麗なピンク色になり、経過良好!と言いたいところだったが。
その病院で、便潜血が見つかり、退院後詳しく地元の病院で検査するようにとすすめられた。循環器専門の病院なのでここではできないのだ。
そして退院後、今度は大腸の精密検査。
特大の癌が見つかった。
身内に癌患者はおらず、心筋梗塞や脳梗塞など血管系の病の家系であったので、思ってもいない現実にただ驚いた。
それでも病院から帰ってきた父は相変わらずいつも通りの腹減った、で
コンビニ弁当を食べていた。
ステント留置の加減もあり、早くても手術は半年後、しかも術中に急変して心筋梗塞や脳梗塞を起こす可能性も高いと言われていた。
それでもいいですか、等のあの署名には毎度ながら??が浮かぶ。
いいですか、って、署名せなあかんけどいいわけないがな!っていつも一人ツッコミを入れてしまう。
そこから半年間、私は父の癌について、薬について、手術について、その後について、かなり勉強しまくった。
疑問に思ったことは、その場で医師に質問する。
きっと煩わしい娘であっただろうが、きちんと隠さず答えてくれる医師であった。
見つかった時の精密検査では、ごく初期であろうとのこだったが、手術後、まさかのステージ3aであることが判明した。
本当にまさか、であった。
なぜならば
その確率というのは、10%なのだ。
なんて倍率の高い競争に勝ち抜いたんだ、父よ!!
いや、ちゃうがな。
そこ、入らんでええがな。
脳梗塞後、煙草をやめた反動で甘いものが欠かせなくなっていたが、それも変わらず、昼に食べるものがないからといいカップラーメンを食べ、仕事の習慣が抜けないから、と早食いも相変わらず、毎晩ご飯を欠かさず二膳、そこは一膳に変わったかな。
まーとにかく、懲りない!!!
三大疾病を見事に乗りこなしてきた父であるが、よく言うじゃないですか、
大病して、人生観変わりました。⭐️
みたいなやつ。
父本人なりには、あるらしいですけど
まったく生活習慣変わりませんよね。
きっと、大病をしているけれども、どれもそこまで痛くもなく、痒くもなく、有難いことにかすり傷で済んでいるからなんだと思います。父の徳、っていうんですかね。
続く。